雑記1147

yoshinashi stuffs

自由

イランで会ったとても印象に残っている旅人に再会してきた。特に九死に一生の大波乱を共に乗り越えた戦友....なんてものではないのだが、街歩きをして特売の魚でチャーハンを作って、少々高額なチキンを共にした仲だった。

相変わらずゆったりとした口調で何にも縛られず生きている。山小屋で働き今度はお遍路に行くとのことだった。その後は農業に従事する予定で、旅は軽く燃え尽きたようだ。

 

彼は世間体プライド期待しがらみをあっさりと捨て去って人生を謳歌しているように見えた。それぞれの謳歌の方法は存在するだろうが彼の方法はけっこう深層心理からくる欲求を満たす類のものであると感じる。身体を使い動き食べ 見 話し とってもシンプルで素敵な楽しみ方だと思う。

脳内できれいな不条理描写に興奮し、人間の極限状態を観察することが趣味の自分も彼のような人生の楽しみ方を知っている。ただそれらの楽しみをどっちも使いこなせている人を知らない。

普段は本の虫で部屋に無機質な人形や悪趣味(通念的に)な絵を飾り、変わった衣を身に纏う人間が、バックパックで世界中を旅行しアクティブに楽しむ図を描けないのだ(自分がやっているのにもかかわらず)

もしかしてこれはやってはいけないことなのではないだろうか。1つの趣味に没頭するのがあるべき姿だったりするのかもしれないなんて頭をよぎる。しかしわたしは自由にしたいことをするのでこんな感じで文字を紡いだりもしちゃいます。