雑記1147

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人間改造論

"もともと人間の肉体に備わっている構造が失われたり、機能が低下した時に

それを回復させるための消極的改造。

人間の肉体に本来、備わっていない構造や機能を追加的に取り付ける積極的改造。

 

前者を倫理的に問題なしとする一方で、後者だけを倫理的に問題ありとする根拠は、それほど明確ではない。"

 

(町田宗鳳 『人間改造論』 新曜社 2007)

 

そうなんだよなあ。骨折してボルトを入れるのと二重瞼の整形って違う印象を与える。

-1→0 と 0→1 でなぜこんなにも世間の目は変わるのだろうか。

 

前者には

「ああ、かわいそうに。手術して痛そう。そういうこともあるよね」 と、同情。

 

後者には

「いや、整形はどうなのかな。親からもらったうんたらかんたら....」と嫉妬。

 

そもそも、人間の身体改造なんて太古の昔からやってきたじゃないかと言いたくなる。

 

民族が背中に動物の力を憑依させるためにキズを入れたり、一部分をピアッシング・拡張させたりする。西洋のコルセットも立派な人間改造といえるではないか。

 

これらの行為はその時代地域に合った美意識に基づいて行われてきたのに、

今、身体改変を行うと火花が飛んでくるのは嫉妬が原因だとしか考えられない。

 

 

 言ってしまえば 美容整形していない人間はいないでしょう。

 

髪を切り、毛を抜き、爪を削り、液体を塗り、歯を磨き、体を洗い....

      頭からつま先まで手を加えていないところは無いではないですか。

 

実は誰もが必死になって毎日、まるで自分に間違った体をあてがわれているように、

半ば強迫的に自らをキレイにしようと必死なのではないでしょうか。

 

 

 

体を美しく整える行為=整形  であるなら 

 

ネイルをするのも、顔を開いて骨を削るのも同じですよね?