雑記1147

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Louvier morastery ルーヴィエ修道院

1642年に一人の神父が死に、修道女が激しいヒステリーに。彼女たちは、プティファー・ダゴン・グロンガードと呼ばれる悪魔に苦しめられていると訴えた。

 

その原因は同僚のマドレーヌ・バヴァンにあると言った。

 

教会はマドレーヌを”妖術使い”の容疑者としてマドレーヌを告発。告発内容は、悪魔との夜宴に参加・悪魔との取引に応じた契約書への署名、悪魔との性的交渉。マドレーヌは拷問にかけられ”自白”をした。

 

マドレーヌが修道院に入ったのは1626年。18の時に神父と関係を持ち、罪を悔いたのか噂を恐れたのか修道院へ入った。

 

そのフランチェスコ派修道院の草分けの司祭はピエール・ダヴィット。教義はアダム派(裸体主義)やキエティスト(静寂主義者)。修道院の生活は清貧そのものであったが、儀式はすべて裸体。信心深い修道女たちも裸体で踊らされたり、庭園を散歩させられたりした。

肉体関係は強要されることは無かったが、後任の司祭に代わってからエロティックな行為がエスカレートしていった。 そして復活祭の”告解”のおり、マドレーヌはピカールに関係を持たされた。以後、”告解”の度に。そして妊娠。

 

ピカールはほかの多くの修道女と関係を結び、院内は色欲地獄のありさまに。彼女たちを性の地獄へ追い込んだ媚薬は経血に浸したパンでつくられた。

 

悪魔の夜宴に参加して、人間のあぶり肉を食べ、性の饗宴を催した。毎晩”悪魔”がやってきて修道女は狂喜の淵に引きずり込まれる。

 

 

ピカールが死ぬまで15年間続き、マドレーヌは40歳で亡くなった。

性と拷問の地獄にあった一生であった。

 

 

コラン・ド・プランシー著 床鍋剛彦訳 『地獄の辞典』 1990  講談社

 

 

かわいそうなマドレーヌ。

神父と関係を持ってしまい、『浄化』を望んだはずなのに入ったところがアダム派というのは皮肉な話。

 

学んだこと

・宗教倫理は本能に打ち勝てない

・自分が所属するであろう集団は念入りに下調べすること

・女=崇高・使役 という相反する価値観が根付いていたこと

 

 

修道院で悪魔と性の饗宴なんてシュルレアリスム的で最高に素敵ではないでしょうか。

デペイズマン。