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光と影のようなもので、不自由な枠の中で戦っているからこそ自由というものが光り輝くのだ。重力で地面に押し付けられていたからこそ、空を飛ぶことが人類の長年の夢だったように。
現代の教育はまったく反対のことをやっている。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。
ぶ厚い壁が目の前にあれば、子供は放っておいても、なんとかしてそこから自由になろうともがく。壁をぶち壊そうとするヤツもいれば、壁の下に穴を彫ろうとするヤツもいるだろう。壁の内側に誰も気づかなかった自由を見つける子供もいるだろう。
人間の知恵や想像力は、壁や障害があってこそ豊かに発揮される。知恵や想像力によって壁を乗り越えるところに、自由の喜びがある。なんでも自由にやっていいよといおう世界では知恵も想像力も働かせる必要がない。寝転がって、食いたいものを食って、テレビでもみていましょう、となるのがオチだ。
自由な環境は大切だけど、自由すぎてもいけない。
不条理な抑圧環境ですらバネに変えて何かを模索することのできる人間はなかなかいないのです。しかしだからといって、圧をかけて潰れる事を恐れてばかりいては進歩がなくなってしまう気がしてならないのです。
劇薬を注いでやる、と、Sっ気に溢れた親爺たちが壁や障害となっていた時代は薄れつつあります。自分の家庭はその気がありましたがそんな環境に非常に感謝しています。自分で考え、工夫せざるを得ない環境というのが一番の養分になっていたなあ。