雑記1147

yoshinashi stuffs

に出たいです。非常に。

なぜかって楽しいんですよ。旅って。

 

習慣も違う、文化も違う、言葉も通じない国に身を置いて苦悩したい。(ドM)

その中で何とか少しでも、駅の場所・どのバスに乗るか・いい店はどこかを必死になって聞き出して先へ進む体験が愛おしい。。

リアルRPGですからね旅は。知らない人と会って、話し、飲み、幸せを共有します。旅人同士でも現地の人とでも性別地位年齢なんて関係なく、いい時間を過ごします。しかもほとんどが一回きりで、でもすごく深く心に残る体験ができます。楽しいだけじゃなくていろいろ残るものもあります。

 

ころころと旅をすると..

 

・勇気と鈍感さが身につく

  知っているものがない世界にずかずかと入っていくのだからいちいち緊張なんかしていられないですよね。ただ慣れすぎるのも問題だとは思います。全財産失くしたりします。

・異文化・人種に対する精神的な壁が無くなる

  ある程度慣れてきた「いろいろな人と出会って多様性を感じた。みんなすごく違っていて面白い。」という感想を持ちました。さらに旅を続けていると「結局みんな一緒だな」という気持ちになりました。というのも、人間ですから。うれしいことがあれば喜ぶし、ふざけたら笑う、嫌なことがあればふてくされる、と。なんだか外国人見ても構えることがなくなり、むしろ英語のフランクな感じで話せるから初めての日本人より嬉しかったりします。

・幸せを感じやすくなる

  いろいろな地域で旅をすると、様々な光景を目にしたり体感します。晴れた日の朝 焼き立てのパンを食べるだけでもだいぶ幸せです。プルーンなんかあればもっといいですね。お金で買える幸せはたくさんあります。お金がなくても幸せになれる方法もたくさんあります。

・寛容になる

  バックグラウンドも知らずに人を判断するのは時期尚早ですよね。切り捨てるよりかはその人を紐解いたほうが生産的です。

・怖いモノが無くなる

  なにも怖くないと言い切るのも違うと思いますが。何事にも余裕が持てるようになる気がします。経験からにじみ出るものであったり、いざとなったら○○する。など選択肢も広がるのではないでしょうか。

 

 

旅してよかったなと心から思います。いつ即死しても後悔ないほど人生楽しみました。(22にして早くも)

ただ、欲張るともっと世界を見たいですね。トルクメの地獄の門とアマゾンの熱帯雨林・青の洞窟なんか素敵。

 

旅欲紛らわすためにRPGでも始めようかな。(結局旅)

 

 

 

適性検査

就活における適性検査で、「その会社でどう行動するか」っていうことを念頭に回答しました。
結果は「器用になんでもこなすことが得意」みたいな無難な判断が出ました。 
結果に対するアドバイスが沢山書いてありましたが、全く参考にならず、それやってるしむしろ得意ということばかり。

そもそも会社の適性検査で 「個人の興味関心を最優先する」に◎つけますか? 
そんな人はアーティストになって創作活動に取り組むのがいいと思うのです。もし、自分が"会社で"どう働くか。という前提を振り払い回答していたら、「artistタイプ」になります。(今までの診断経験から)

そんな人間が、会社で働くにあたって回りと強調しながら周りを巻き込んで意思決定する、という自分を適宜押さえる大人になったつもりでいました。
そんなときに、「君ほんとにクリエイティブな仕事できるの?嘘言ってない?」なんて聞かれたのでたまったものではなかったです。

その場で説明はしましたが 即興で高いレベルの説得をする能力は自分にはあまり感じられませんでした。
もし落ちた場合、「適性検査によるとバランスタイプなのに、強みは独創性といっている、つまり嘘をついている。このような人は要らない。」みたいなことになるのでは無いでしょうか。
自分が面接官だったら、そもそも何を考えて適性検査を受けたのかという前提を聞いてから内容に入ります。

人間さまざまな面を持っています。適性検査の問題がどれほど多くても受験者の検査に対する姿勢を理解しなければ結果にもブレが生じます。

選択肢を増やした上での選択と
それしかない状態の選択
(5個から1個を選ぶ or 1個のものだけ見て選ぶ )の密度の違いを人事ならわかってるはずです。それができてるかできてないかを確認するための面接なのにそんな雰囲気はなかった。

ねよ。

Isolation Tank

に、入ってみたい。

アイソレーション・タンク - Wikipedia

 

禅の上級者が経験した結果、

「1年に1度到達できるほどの澄んだ状態になることができた。」とのこと。

とても気になる。調べると沖縄と岡山に体験できる施設があるそうな。

これはちと遠い、カプセルに入るためだけに岡山に行くのはどうでしょうか。

値段も60分9000円と安くはない(少し頑張ればまあいいかと思う絶妙な値段設定)

いつか行こうと先延ばしリストに入れようとしておりましたらなんと 白銀高輪にあるそうで。これは行くしかない!

すぐにでもあのカプセルに入ってみたいのですが、電車で1時間ほどの近場で何の経験も積まずに精神的に不思議な状態を味わいたいなんて生ぬるい姿勢で入ってもいいのでしょうか。こんな甘ったれた精神ではタンクに対して失礼な気がしてきました。

苦労を重ねてタンクインしたいのですが、タンクインするための苦労が見つかりません。感覚をそぎ落とす体験ですから、知覚を研ぎ澄ませればいいのでしょうか。

 

 

 

そんなことを考えながら受ける「知覚と身体」の授業はおもしろい。

(内容関係ない)

The family man

1日2本映画を見るというマリアさんのおすすめ「The family man」を見てみました。
if系は儚くもどかしく。現実と虚構のコントラストの力によってそれぞれの印象が強くなります。

「もしあの時違う道を進んでいたら...」なんてことはあるでしょう。私が思うに、どちらの道を選んだとしてもある種の幸・不幸は存在します。その種類が違うだけであって、完璧なことなどなにも無いのです。

ただ、とても良いことがあります。それは "進まなかった道で拾う幸せ" を知る機会が無いことです。もう既にAの道を進んだ私はBという道に引き返すことは出来ないです。Bの道を認知は出来るが実際に歩いてみることは出来ないです。さすればつまり、Bの道はどういった物であるか知る余地がないのです。
知らない物は後悔できませんからね。

現実を愛することが幸せの鍵かもしれません。

と、いう雑記を人の叫び声を聞きながらカタカタ打っています夜。

エルフェンリ-ト

はい。やってしまいました。

YouTubeは本当に優秀すぎて辛いです。 

『エルフェンリ-ト』を最初から最後までイッキ見しました。一話目からガンガンスプラッターで切断祭りでした。『Happy tree friends』の人間ver.でしたね。切断面や膨張~破裂まで丁寧に書かれていました。裸の絵が多いことからも大人向けのアニメかと思います。

キレイな女の人とグロ描写ってとても相性がいいんですよね。美しい外見と生々しい内部のコントラスト・本来見えてはいけない部分の露出など「振れている」表現だからですかね。今まで見た中で物理的にも精神的にも割とエグかったです。「使用価値」を認めてもらうことが生きがい、といったものはフィクションの世界ではよく聞きますが実際にそういった思考の人にあったことないですね。

ルーシー(ライトニングと自分の中で被っていた)もマリコもまあ報われない。ナナは唯一報われて個人的にはとても満足しました。ルーシーはコウタに謝ることができた・マリコもある意味幸せに死んだとも見れますが・・。もやもやするくらいがちょうどよいかもしれません。

フィクションであっても、振れた変態的思考を見れるのが楽しいのです。そういった意味と健気さで個人的にはナナが気に入りました。ナナはアクロトモフォビアの方には大人気でしょうね。狙ってますね。

 

木田さんに報告したところ、「極黒のブリュンヒルデ」がよさげなので次はそちらかな。サブカルを楽しんでおります。

Pierre Molinier

自分の欲望を余すことなく「Art」に昇華できる人は素晴らしいです。

ピエール・モリニエさん、「魔術的才能」とは言い得て妙であり、奇怪な人物。

ここまで社会的視点で狂っている人を聞いたことがありませんで。ですから面白いのだろうけれども。いい意味での嫌悪感を醸し出す作品を多く描いていらっしゃいます。

 

 

 

ピエール・モリニエ(Pierre Molinier、1900年-1976年)画家、写真家、人形作家。

ナルシスト。フェティシスト。女装狂。近親相姦と死姦愛好者。両性具有者。天使。拳銃自殺者。偉大なスキャンダリスト。「狂気の愛」を描き続け、アンドレ・ブルトンにその魔術的才能を激賞された。画布に精液を塗る、女装する、人形と自身の写真をコラージュする、といった倒錯的な作風で知られる、最後のシュルレアリスト

略歴

 

1900年:4月13日金曜日、フランス・アジャンに生まれる。父親はペンキ職人、母親は裁縫師。
1928年:ボルドーで穏健な野獣派の画家としてデビューするが、性交中の男女を描いてスキャンダルを起こす。
1944年:父親が薬物中毒の果てに自殺。
1956年:アンドレ・ブルトンのキュレートによってパリで個展を開催するが、売春宿を営んでいることを告白したり二股のティルダを展示しようとしたりする露骨さが嫌われて疎遠となる。
1960年:妻に対する暴力と従兄弟に向けて銃を撃ったことから1ヶ月の禁固刑。
1975年:アギュロと両性具有をテーマとしたフォトセッションを敢行。
1976年:友人にあらかじめ宣言した上で、自室にて拳銃自殺。死体の周りには無数のポルノグラフィがばらまかれていた。
彼独自の奇怪な作品を次々と生み出し、背徳的なセックスに耽溺。自己フェラチオ用の器具を開発して写真に撮り、名刺がわりに配るなど、数知れぬ奇行を働いたことでも知られる。その他、黒のストッキングとハイヒールで女装した自身の肛門を踵に括り付けた自家製ディルドーで犯しながらそのアクロバティックな姿を写真に収めたり、早逝した妹の亡骸の上に絶望の涙とともにこらえきれず漏らした精液を滴らせたこともあるとされる。

 

という感じです。

 

 

グロテスク・エロティックな表現自体よりも、そういった表現をする精神や意図に興味を感じます。こういう人と一度対談してみたい。芸術家の頭の中はどうなっているのでしょうか。 歪んだ思考回路を持っているからこそ尖った作品が出来上がる or  優れた作品が作者の奇行性によって神格化される。 どちらの要因もあると思います。

芸術家の媚びない雰囲気が好きです。反社会的な事を表現してもその人や作品が広まってゆくというのは、やはりそれを支える国民が存在するからです。人々の潜在欲求や満たされてない思いを代弁している、もしくは潜在意識に気づかせるという啓蒙活動もしているような気がします。

振れているものはキレイです。

平和

日本は平和だと再確認しました。このニュース。

www.bbc.com

2週間前までいたトルコで自爆テロが起きたようです。36人が重軽傷を負った模様。さらにこのニュースが身近に感じられた理由は、この爆発があった場所から徒歩5分のホステルに泊まっていたからです。

 

生まれながらにしてずっとそこに住んでいるといっていたホステルの人は

「ここら辺はとっても安全で、深夜に歩いても一度たりとも何も起きたことがないよ」と言っていました。

そんな場所でもこうした被害を出す事象が起きてしまうのかと。

トルコ旅行中、話をすると「クルド人が・移民が・政府が」という話題がとても多く話しました。一般市民がそういった問題意識を持っているのは日本とは違うし、考えているという事において、状況が違うと感じました。

 

そういったシリアスな問題について意識関心が向かない環境で生活している、という事がどれほど幸せな状況であるのかを自覚している人はなかなかいないでしょうね。

あれですよ、マズローの欲求階層説だと「安全の欲求」を求めるレベルが世界にはあるってことです。地域によっては「生理的欲求」を満たすために生活している地域もあります。

 

 

頭の片隅にこういう事を入れておくと、幸せもひとしおに感じられ

日本で生活しているだけで幸せ、と精神衛生的に健康を保てます。

 

 

 

すごく欲しかった物から そうでもないモンまで クリック ドラッグ R & R

何だって手に入る さぁ 油断して渡ろう 慢心して進もう 文明の恩恵の上を

(Mr.children『終末のコンフィデンスソング』)

https://www.youtube.com/watch?v=HqXQXwgcf_U

 

 

 

平和な週末の雑記。