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We first make our habits, and then our habits make us.
イギリスの詩人の言葉。
”はじめは、私たちが習慣を作り、それから習慣が私たちを作る。”
潜在的にその意識はあります。
しかし、思考と実行の間にものすごく大きな壁が存在することは確か。
こう、ブログという形でアウトプットを続けているのはいいことと思う一方で、
精度や頻度に不満がないわけではない。
でも、「書くことを続けている」事実はあるのだからペシミスティックにはならない。
気の利いた事をアウトプットできるためにはなんとなくではなくて、
戦闘的にインプットをしなくてはいけない気がします〇
就活も佳境。ふう。
人間改造論
"もともと人間の肉体に備わっている構造が失われたり、機能が低下した時に
それを回復させるための消極的改造。
人間の肉体に本来、備わっていない構造や機能を追加的に取り付ける積極的改造。
前者を倫理的に問題なしとする一方で、後者だけを倫理的に問題ありとする根拠は、それほど明確ではない。"
(町田宗鳳 『人間改造論』 新曜社 2007)
そうなんだよなあ。骨折してボルトを入れるのと二重瞼の整形って違う印象を与える。
-1→0 と 0→1 でなぜこんなにも世間の目は変わるのだろうか。
前者には
「ああ、かわいそうに。手術して痛そう。そういうこともあるよね」 と、同情。
後者には
「いや、整形はどうなのかな。親からもらったうんたらかんたら....」と嫉妬。
そもそも、人間の身体改造なんて太古の昔からやってきたじゃないかと言いたくなる。
民族が背中に動物の力を憑依させるためにキズを入れたり、一部分をピアッシング・拡張させたりする。西洋のコルセットも立派な人間改造といえるではないか。
これらの行為はその時代地域に合った美意識に基づいて行われてきたのに、
今、身体改変を行うと火花が飛んでくるのは嫉妬が原因だとしか考えられない。
言ってしまえば 美容整形していない人間はいないでしょう。
髪を切り、毛を抜き、爪を削り、液体を塗り、歯を磨き、体を洗い....
頭からつま先まで手を加えていないところは無いではないですか。
実は誰もが必死になって毎日、まるで自分に間違った体をあてがわれているように、
半ば強迫的に自らをキレイにしようと必死なのではないでしょうか。
体を美しく整える行為=整形 であるなら
ネイルをするのも、顔を開いて骨を削るのも同じですよね?
着ること。
論考とまではいかないけれど文章を書いてみたい。
一言でいえば、気分を操作することかと思いました。
のによって結構気分が変わります。洋服に思い入れがある人はその影響を受けるのは当然かと。。人によって好きなものは違いますが、その人がこだわりを持っているものはその人の気分に影響を与えるでしょうね。たまたまそれが洋服だったわけで。
洋服で気分を変えたり、いい気分をさらに快適に楽しんだり、あえて自分が不快な洋服を着てみたり、いろいろな着方をしています。
基本的にはヨウジを着ます。なんでかって、落ち着くから。黒いしでろっとしていて抜けた感じで空気感がフィーリングに合って心地がよいから。ゆらゆらしていたいので一番合っているのではないかーと。
シャンとしたいときはミヤケです。細身なのでシュッとした感覚になって背筋が伸びる気がして。シンプルできれいなんですよね。
Simplicity is the ultimate sophistication. というピカソの言葉を思い出します。「足すものがない」ではなく「削るところがない」状態が最も美しいともおっしゃられたようです。 あんな細密な絵でも全部必要なものだったんでしょうね.
ミニマルなデザインといえばジルサンダーだけどあんなにカチッとしていたら窒息死しそう
もやもやしたいときはギャルソンを。ギャルソンを着ると身体感覚に意識的になります。非対称だったり、ボコボコしていたりなんかいい意味で不快になれる洋服。あと、かわいいですよね、シルエットとか。
洋服としてはウィメンズのほうが好きなんだけど。「未成熟性」が強調されるような洋服(性的・美的・造形的)に。ギャルソンの服も好きな一方、「ギャルソンの洋服を選ぶ女」のほうに魅力を感じる。
周りに媚びず、確固たる自分の世界があって、「入ってこないで」とでも叫んでいるような強い女性。えてして化粧という虚構で現実を乗り越えてゆく力が感じられます(勝手に)
洋服好きな人に繊細な人が多いのは影響を受けやすいからではないかな。繊細だから洋服という日常的なものに大きな影響を受ける。そうすると関心が高まって工夫しだすのではないでしょうか。
意思を持ってを選ぶことは楽しい、主体的に関わればより楽しいので着たおして遊んでいます。
着る物で楽しくなれるのはラッキーかもしれません。
Matohu
Matohu という洋服のブランドが面白いと思いました。
読み方はまとう。
何が面白いかって、日本人が「日本の再解釈」をして洋服を作っている ことでして。
これって意外となかったですよね。あるシーズンで日本をテーマしにて服づくりを行ったりはしているのですけれど、一過性であり引用である場合が多いんですよ。
引用ってなにかというと某メゾンがガンダムのプリントTを作って、「ジャパーン」っていうもの。そのまま引いてくることです。
さらにいうなれば、「日本」「ジャポニズム」という文脈は西洋の目から見た表現であって、その背景には西洋の文化を高める素材としての「日本」という感覚でありました。
そこで matohu は日本人が日本を再解釈しようとしたのです。日本人が日本を再解釈するのであるから、西洋の目にはもう日本を再解釈する余地がないわけです。
実際に表参道のショップでいろいろ見せていただきました。
日本の文化・美意識をモダンに表現するmatohuの洋服は世界観がはっきりしていて優しく独特で軽やかな印象。
全然古臭くないんですよね。むしろ現代寄りの洋服で、柄なんかもはっきりしたものが多いんですが、その中でも日本というエッセンスがにじみ出ている気が。
自分はこの種の洋服は似合う人では無いので袖を通すことはないかなと思いましたが、夏の夜散歩する時に着たくなりそうな洋服でした。
旅
に出たいです。非常に。
なぜかって楽しいんですよ。旅って。
習慣も違う、文化も違う、言葉も通じない国に身を置いて苦悩したい。(ドM)
その中で何とか少しでも、駅の場所・どのバスに乗るか・いい店はどこかを必死になって聞き出して先へ進む体験が愛おしい。。
リアルRPGですからね旅は。知らない人と会って、話し、飲み、幸せを共有します。旅人同士でも現地の人とでも性別地位年齢なんて関係なく、いい時間を過ごします。しかもほとんどが一回きりで、でもすごく深く心に残る体験ができます。楽しいだけじゃなくていろいろ残るものもあります。
ころころと旅をすると..
・勇気と鈍感さが身につく
知っているものがない世界にずかずかと入っていくのだからいちいち緊張なんかしていられないですよね。ただ慣れすぎるのも問題だとは思います。全財産失くしたりします。
・異文化・人種に対する精神的な壁が無くなる
ある程度慣れてきた「いろいろな人と出会って多様性を感じた。みんなすごく違っていて面白い。」という感想を持ちました。さらに旅を続けていると「結局みんな一緒だな」という気持ちになりました。というのも、人間ですから。うれしいことがあれば喜ぶし、ふざけたら笑う、嫌なことがあればふてくされる、と。なんだか外国人見ても構えることがなくなり、むしろ英語のフランクな感じで話せるから初めての日本人より嬉しかったりします。
・幸せを感じやすくなる
いろいろな地域で旅をすると、様々な光景を目にしたり体感します。晴れた日の朝 焼き立てのパンを食べるだけでもだいぶ幸せです。プルーンなんかあればもっといいですね。お金で買える幸せはたくさんあります。お金がなくても幸せになれる方法もたくさんあります。
・寛容になる
バックグラウンドも知らずに人を判断するのは時期尚早ですよね。切り捨てるよりかはその人を紐解いたほうが生産的です。
・怖いモノが無くなる
なにも怖くないと言い切るのも違うと思いますが。何事にも余裕が持てるようになる気がします。経験からにじみ出るものであったり、いざとなったら○○する。など選択肢も広がるのではないでしょうか。
旅してよかったなと心から思います。いつ即死しても後悔ないほど人生楽しみました。(22にして早くも)
ただ、欲張るともっと世界を見たいですね。トルクメの地獄の門とアマゾンの熱帯雨林・青の洞窟なんか素敵。
旅欲紛らわすためにRPGでも始めようかな。(結局旅)